努力が苦手である。ほんの少しの運の良さとほんの少しの要領の良さで、のらりくらりと生きてきてしまった。興味が四方八方に散らばるから、一生懸命なにか1つのことに取り組んだ経験がなかった。そんな自分を変えたくて、体育会で運動をやろうと決めたのは1年生の4月である。

 

 

 

 中高とソフトテニス部に所属していたという縁で一橋大学ソフトテニス部の体験に赴いた。ソフトテニス歴6年が突如0と化したのはこの日である。中高時代の「ソフトテニス」がソフトテニスではなかったと知った。はじめは私を経験者として扱ってくださろうとした先輩もいらっしゃった。だけど、バックハンドは打てないし、フォアハンドだってなんだか打ち方が違う気がする。あまりの羞恥から、先輩を遮って「初心者として0から教えてください」と頭を下げた。

 

 

 

 コート上で同期のことを同期だと思ったことはない。それほどに私と同期との間には大きな実力差があった。先輩だと思っていた。だから、幹部代になっても私の中では対等に接することができなかった。テニスに関係のない部の運営に関する議論であっても、テニスが下手な私の考えは全て的外れなような気がして、議論に参加できなかった。結局何も貢献することができなかった。幹部としての1年間は非常に後悔が大きい。

 

 

 

 いつかは同期のみんなと同じくらい打ち合えるようになる。レギュラーとして試合に出て、勝って、チームに貢献することができる。こんな希望が2年生のころまでの私のモチベーションだった。幻想だと知ったのは3年生の夏合宿である。合宿3日目、練習試合で負けた。そこで突然、全てを悟った。私はチームの勝ち星にはなれない。テニスでチームに貢献することはできない。そんな絶対的な事実が、天から降ってきたかのように私にのしかかった。私はこのチームにいる価値はないと感じた。惨めだった。合宿中から夏の遠征が終わるまでずっと泣いていた。秋リーグが迫っていたが、正規練習以外コートに足が向かなかった。もちろんその年の秋リーグに選手として出ることはできなかった。当然である。その後も、就職活動を言い訳にテニスから逃げた。今思い返すとここで部活を辞めなくてよかったと心から思う。

 

 

 

 転機は4年生の9月、大阪市立大学で行われた三商戦である。対大阪市立大の点取り戦、1番手で出場させていただいた。ファイナル勝ち。チームは2-1で勝利を収めることができた。初めてテニスで、自分の実力を出して、チームの勝ちに貢献できた気がした。(もちろん実際はペアの瀬口の力が大きかったのだが。)本当に嬉しかった。この部にいていいんだよ、と言われた気がした。

 

 

 

 2019年秋リーグ3試合出場、3敗。これがこの部での私の「努力」の結果である。結局私は自分を変えることはできなかった。練習量は他の部員に比べて明らかに少なかったし、やっぱり興味は多方面に散らばっていろんな活動に手を出した。テニスから目を背けたこともあった。実力を出しきって戦い勝ちをあげる同期や後輩を見て、足繁くコートに通いソフトテニスに限界まで向き合っていた姿を思い出し、努力は本当に裏切らないのだと感じた。7部残留が決定し、最後に同期と並んで写真を撮った。恐れ多いと思った。3人と並んでいいのかと自問しながら必死に笑顔を作った。帰り道、あまりに情けなくて、1人涙を落としながら帰った。

 

 

 

 後悔ばかりの暗い随想となってしまったが、あえてこの内容を選んだのは自身への戒めである。私は卒業後の進路として、専門性が高く常に勉強し知識を蓄えることが求められる職を選んだ。努力を怠れば、対価を得る価値がない。自分に甘えてしまいそうな時はこの随想に立ち戻り、このドロドロとした後悔を忘れないよう、ここに記したい。

 

 

 

 この部に入部して3年半活動し、己の未熟さを痛感した。自分のことばかりで、周りに何1つ還元できなかった。(結局この随想も、後輩のためではなく自分のためである。)練習に熱心でなく、テニスも下手で、泣いてばかりの私を見捨てずここまで導いてくれた同期には一生頭が上がらない。こんな私を対等に扱ってくれてありがとう。同期のみんなを心から尊敬しています。

 

また、優しく支えてくださった先輩方、私を先輩扱いしてくれてついてきてくれた後輩、この部での活動を通じてお会いした皆様には感謝でいっぱいである。現在女子部には初心者の部員2人を含め5人の部員がいる。入部してくれて本当にありがとう。女子部が永く続き、男子部とともに発展することを心から願ってやみません。

 

 

 

 最後になりますが、OBOGの皆様からの多大なるご支援に心から感謝申し上げます。私も微力ながらOGとして一橋大学ソフトテニス部に貢献していきたく思います。仲間に入れてくだされば幸いです。