随想         社会学部 廣江華帆

 4年間を振り返って書きたいことが山ほどある。過去の先輩方の随想と比べ、大変まとまりの悪い随想になってしまうが、私は大学4年間の3つの後悔と学びについて書きたい。

 

1つ目 選手としての後悔

 私の最大の後悔は、大学だけでなくテニス人生13年を通して、最大の課題に向き合えなかったことだ。

テニス歴13年、私は小学三年生からソフトテニスを始めた。強豪校ではなかったが、常に周りのだれよりもコート内外かかわらず練習してきた。だが、全く自信がなかった。中学二年生の試合で突然打てなくなってしまい、それ以降の5年間はラケットを握るだけで手足が震えるようになり、今まで行っていた動作・視線、何もかもを忘れてしまった。いわゆるイップスだ。毎日が憂鬱で、打つのが怖く練習すればするほど下手になった。「なんで上手にならないのか不思議、中1の時の方がうまかったね」と上達していく同期に言われたセリフは死ぬまで忘れないと思う。

そんな状況でも「強い人のようにコートで堂々とふるまいたい、いい音で気持ちよくポイントをとってみたい」という気持ちをかなえたくて、大学で入部を決めた。どんな時も、この気持ちが最大のモチベーションだった。そんな状態で入部した1年生のころの私は「これだけやってもダメなんだ」と練習がかえって自信喪失につながっていた。そして「自分は下手だから努力しなければいけない」と思っていた。こんなネガティブな感情でテニスをしていた。大学1年生の時は、ひたすら練習していたが、私のマイナスな態度でひどく迷惑をかけてしまったと思う。

今考えると、中高生のときも、この時も、一度足を止めて、自分の一番の課題に向き合えばよかった。イップスという本質から目を背けていた。イップスが発症しないようにすることだけに集中していて、勝つことは考えることができなかった。澤部先輩・瀬口先輩、という強い後衛を間近に見ながら試合に出られる貴重な機会を、冷静さを欠いて棒に振ってしまったことが最大の後悔だ。

2年生で、テニスをする怖さに耐えられなくなってしまった。勝ちたい相手がたくさんいるのに、自分はいつイップスがでるか、という恐怖でいっぱいで「勝つためのテニス」ができなかった。これ以上練習しても絶対伸びないと絶望し、部活もソフトテニスも大嫌いになり当時の主将の大橋先輩に退部したいと相談した。本当に心労をおかけしたと思う。女子部全体でミーティングを開いてもらい「前後比を狂わせる、今から前衛をやるのはおかしい」などの反対意見もあった中(当然)で私は2年生の6月に前衛に転向させてもらった。多大なご迷惑をおかけしたが、そのおかげで退部せずに最後までやり続けることができた。本当に感謝している。4年生でようやく、イップス治療専門の方に相談することができ、イップスのメカニズムや体の動きについて学ぶことが来た。本当に中高生の時に、大学1年生のときに向き合うべきだった。正しい努力が足りなかった。

 

二つ目 周りの人から学んだこと

 他校、一橋の先輩・後輩、強い選手がたくさんいた。

「勝負強い選手」ってなんだろう、4年間を通じ、何度も考えた。よく言われる「ツーバンするまで諦めないこと」は習慣と気持ちがあればできるし、勝つというより「負けない」ための要素な気がする。周りの強い選手から共通して感じたことが2つある。1つ目は「自信」を持っていることだ。周りと比べる必要はなく、自分のプレーに自信を持っているか、がなによりも大事だと思う。自信は練習すれば自然に発生するものではなく持とうと思えばいつからでも持つことがきる。私は1・2年生の時はよく「自分下手なんで頑張ります」と言っていた。せっかくの努力も「自分を卑下して、負けることに予防線を張っていた」からいつまでたっても自信に変えることができなかった。今後、初心者で入部してくれる子がいれば、どうか強い心を持って「自分は下手だ」と言わないでほしい。

 2つ目は「勝負を楽しめる」ことだ。上手な人の練習をみると、一本一本、相手に勝つことを楽しんでいるように見える。そうして、「このプレーはできる」という小さな勝利の経験を積んでいって、本番でここぞという時に力を発揮できているように思う。

練習では「自分との闘い」も当然必要だが「相手に勝つこと」の積み重ねも大切だと学んだ。

 

三つ目 主将

 私は2年生の秋から4年の春まで主将を任せていただいた。後輩0、先輩が4人、同期が一人という中で自分が主将としてできることは何があるんだろう、と各選手の課題、練習メニューや他校との練習など、常に考えていた。そんな主将としての後悔は主に二つある。

1つ目は、意図や悩み、思っていることを伝えることができず、1人で空回ってしまったことだ。せっかく考えていたことも、当たり前だが言わなければ伝わらない。「もっとこうしたい」というものを恐れずに言えばよかった。

2つ目は、「建設的に考えること」よりも「悩むこと」が多かったことだ。部員の機嫌や調子ばかりに気を取られ、主将として自分が勝つこと、チームがどうしたら相手に勝てるか、明確な目標・戦略を考え行動すること、ができていなかった。そして、周りの人に頼る、こともできていなかった。「これを言ったら空気を悪くしてしまう、その人に悪影響を与えるかもしれない」と当時は考えていたが、そこまで周りの人はもろくないし、今考えると一人で悩んでいたことを本当にばからしく、傲慢であった思う。PDCAPが苦手なのであれば周りに頼ればよかった。発信することが大切だと学んだ。

 

大変拙い文章であったが、私の4年間の後悔と学びを詰め込んだつもりだ。

 

テニスを皆でやる意味って何だろう、私が昔からよく考えていたことだ。この人と練習する意味はなんだろう、自分がここにいる意味はなんだろう。そう考えたときに、自分の価値をチームの中で創ることの大切さに気が付いた。

 

体育会ソフトテニス部は私にとって一番意味のある大切な場所です。関わってくださったすべての方に感謝しています。本当にありがとうございました。そして後輩たちの活躍を心から願っております。