香港に駐在になってはや4年半になる。大学生のときから海外での仕事に興味があり、銀行時代はニューヨーク、デュッセルドルフ、ウィーンの駐在員を経験した。ちょうど2008年のリーマン危機後、ギリシャの債務問題に端を発した「欧州危機」が勃発し、当時ウィーンにいて中東欧のビジネスに就いていたことから、依頼を受け球朋会の原稿を執筆した記憶がある。セカンドキャリアを選択するにあたり、金融業界の延長線ではなく、日本の純粋な一製造業の現場に身を置いてみたいということと、銀行員時代にはほとんど接点のなかったアジアでのビジネスを経験したいというのを希望した。
現在の会社は創業52年のオーナー会社で、日系カメラメーカー宛にストロボ製品やカメラ部品を販売するのが主力事業で、華南地区の珠海とタイに自社工場を有している。香港現法はベンダーと工場間の部品の売買、工場と客先との製品の売買を仲介する機能に加え、工場宛のファイナンス機能を担っている。ただ、カメラ業界内では2010年がデジカメ出荷量のピークで、その後、特にコンパクトデジカメの需要がスマホのカメラ機能で代替されてきたことから右下がりの業況で、カメラ以外の分野の新規開拓が急務となっている。
香港で生活して感じるのは、社会の仕組みが整然と整備され、教育水準が高いことである。例えば、台風の進路にあたりやすいということもあろうが、「シグナル8」という警報が発令されると、出社義務が免除され、出社前なら自宅待機、出社後なら帰宅、何時までに解除されれば何時間後に出社せよ等、公共機関および民間会社とも同じような仕組みで動いているので、判断に迷いがない。上記発令下では実質的に社会がストップ状態で、それに反し、外を歩いていて何か物が飛んできて損傷を受けても保険は下りないらしい。昨年、日本でも鉄道会社から「計画運休」という言葉を聞いたが、日本社会としても今後より一層体系化されるのではないかと思う。
数年前、「アジアで統括拠点を置くには、香港、シンガポール、ジャカルタ、バンコクのどこがよいか?」というテーマの銀行のセミナーがあった。その中で、「香港 vs. シンガポール」での文脈の中での香港の優位性において「現地での日本語人材の豊富さ」が指摘されていた。確かに、弊社のような一中小企業においても、現地職員10名のうち7名は日本語でのビジネス遂行が可能だ。3年前まで香港における外資系企業数という点では、日本がトップ、次に米国、中国。2年前からは中国がトップになっているが、、、。現状、日系企業の新規という点ではサービス業や飲食業等の第三次産業中心であるが、「日本の会社で働きたい」というニーズは根強い。
香港では主として広東語が話されているが、中国本土や台湾とのビジネス上は北京語も必須である。この2つは全く別物らしい。上海出身の珠海工場の中国人幹部が香港へ来て会食した際、注文する段になって、店員といきなり筆談になった。「なぜ口頭でやらないのか?」と聞いたところ、「年配の人は北京語を理解しないから」という回答だった。
幸い、香港にいて、医者にかかる機会はまずないが、この5年間、耳鼻科と歯科はやむなくかかった。医者なので英語でのコミュニケーションは可能。歯科では治療のスピードが早いと感じた。日本なら何回にも分けて時間がかかるきらいがあるが、、、。 この僅かな事例においても医療水準の高さを垣間見た。
2018年9月には、香港の繁華街尖沙咀のあたりに西九龍駅が完成した。従来、中国の高速鉄道は深圳駅が南端だったのが、西九龍駅まで延伸された。同駅では「一地両検」のもと、香港から中国への出入国およびその逆が可能になった。ただ、そうなる前には香港側で激論があった。西九龍駅は深圳・香港間のボーダーから約30㎞南の香港領域に位置している。そこに物理的に中国出入国管理事務所ができる、いわば中国本土の飛び地のような空間。領土を侵されるような心情だろう。
さらに、2018年10月には港珠澳大橋が完成。東京湾アクアラインで川崎市と木更津市が道路でつながったように、香港から中国対岸の珠海およびマカオと海底トンネルと橋でつながった。全長55kmと世界最長の海上橋である。香港側からは香港国際空港の東隣りにある島で、シャトルバスに乗り込み、約40分で珠海またはマカオ側の島に到着。できてから、1年以上が経過したが、その大橋はガラガラ。旅客の運搬はあっても、貨物輸送にはほとんど使用されていないように見える。大橋のシャトルバス料金はフェリーの約3分の1、所要時間は同じくらい、フェリーと違って揺れは少なく船酔いの心配なし、次々にシャトルバスが発車するので、フェリーのように出発時間にあわせて行動する必要なし、と大橋利用に分がある。最近では、その利便性から、珠海工場へ出張の際もほぼすべて大橋利用となっている。
ただ、上記の高速鉄道の西九龍駅までの延伸や大橋の完成を喜んでいる香港人はどのくらいいるのか?これらのものはほとんど中国本土の人が観光や買い物等で香港へ来やすくなっただけというのが大半の香港人の見方だろう。
上記のように、何か中国本土からの圧迫が増しているような出来事が続く中で、昨年6月からデモが起こりだした。「反送中」というスローガンが記載された黄色地に黒字で書かれたポスターを駅や自宅近くの公園内でも見た。逃亡犯条例の改正案が成立すれば、香港と中国本土の犯罪人受渡しが可能になるため、香港市民が中国当局の取り締まり対象になる可能性が発生し、香港の自治を保証する「一国二制度」が揺らぐのではないかという市民の恐れに端を発している。香港行政長官から改正案の正式撤回表明により収まるのかと思いきや、半年以上続いている。
香港は特別行政区という政治体で、「一国二制度」という体制のもと、「中国の一部」というのは紛れもない事実だ。ただ、香港で暮らしていて、有形無形に感じるのは、極言すれば「香港は中国ではない」というプライドといってもよい潜在自我意識が底流にあることである。香港で、相手が広東語ができないなら、英語のほうがよい、北京語は野暮に思われるので使いたくない、そのようなメンタリティー。そのプライドの背景には、香港にある、英国統治以来の放任主義の「自由」という伝統がある。その「自由」が脅かされることは「香港が香港でなくなる」ことを意味する。その危機感が一連のデモ活動の推進力になっていると感じる。
そうこうしているうちに、今後は新型コロナウイルスの問題が急浮上しだした。この問題がデモとは別次元でどう香港社会に影を落としていくのか予断をゆるさない。
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