皆様 お元気ですか
先日、福永徹君のお墓参りをしてきました。
福永君は平成十二年五月二十七日に亡くなられ、十年が経とうとしています。
福永君の訃報に気付かずに年賀状を出してしまった非礼をお詫びしながら、一周忌に彼のお母さんに手紙を出させていただいた折には、追悼文のような感じになったので、
彼に近い年代の方々には、恥ずかしさにめげずに読んでいただいたりしました。
その後も、お母さんに送付した手紙を、皆様にもお見せしたりしてきましたが、
時の経過とともに、手紙の内容は、自分の年齢とともに変化する心境とか、会社での不満等、私的な記載が多くなり、
ますます皆様に見せるようなものではなくなってきたので、皆様には何のご報告もしませんでしたが、年に一回だけですが、お母さんへの手紙は続けていたりしていました。
いつかはお墓参りにもうかがいたいと思うものの、具体的な行動もおこさずに月日が経過しましたが、
最近になり、お母さんもだんだん高齢となれば、もし伺うことができたとして、お墓への案内なども、なかなか大変になるかなあ---などと考えるようになりまして、
ふと唐突に、今年の四月末に、お墓参りに行ってきました。
下関から約20分の小月駅というところが最寄り駅でしたが、
当日は東京在住の妹さんも同行されて、三人でおまいりさせていただきました。
当地の風習で、ご信仰のお寺とは別に、近隣の方々のお墓が集まる丘(「野辺」というのでしょうか)のなかに、立派なお墓が建立されていました。
お墓参りの後は、ご自宅で、アルバムなども見せていただき、また昼食をともにさせていただいたのちに、失礼しました。
下関ははじめてなので、前日には妻と下関やら門司など見物しましたので、
皆様には珍しくないでしょうが、下関の観光タワ-から眺めた関門橋、巌流島の写真を添付します。
ついでに、破壊される直前の国立駅の表入口の写真も----。
また一枚は、福永君が眠る小高い丘からの風景です(丘の様子が伝わるかなあと思って周辺を撮影したものであって、福永家のお墓は映ってはいません。)
本来、皆様にも声をかけていれば、多くの方との同行となったでしょうが、
未だ皆様は、仕事にご活躍中なので、今回は、仕事で活躍していない私だけで行ってきました。
私の家と直線距離500mくらいに在住の渡辺正和君とは、月1or2回ほど、区のテニスコ-トでシングルスをしており、私が0-6、0-6、1-6くらいで負けているわけです(-----スコアでお気づきと思いますが、いわゆる『硬式』tennisのことであり、軟式庭球における私の先輩としての権威にいささかも影響は及ぼされておりません------)が、
彼からは 福永君のお母さんのお人柄とか、お家の環境等を、時折聞かせてもらっていました。
そんな渡辺正和君にも、失礼ながら、事後報告にさせてもらいました。
渡辺君には、失礼にかさねて、ご面倒で申し訳ないのですが、
私に画像を送る技術がなかったり、パソコン買い換えてmail等がうまく操作できないので、
、
この「報告mail」を渡辺君から皆様(我々より若い年代で、福永君と現役でかさなっている人たち--- それが好球会だったかが定かでなく--- )に、転送していただきました。
竺原 一博