随想

 

社会学部4年 栗原さくら

 

 

 

私がソフトテニスを続けてこられたのは、両親、OBOGの皆様と先輩方、同期・後輩、そのほか多くの方との素晴らしい出会いと、温かい支援があったからだと思う。この場をお借りして、心から感謝の気持ちを表したい。本当にありがとうございました。

 

ソフトテニスを頑張る原動力は何かを問われたとき、「好きだから、楽しいから」と答えるのはまあ当前だが、私の場合は「ソフトテニスに感動したから」というのも大きい。高1の春、偶然訪れたソフトテニス部で、初めて見た展開練に釘付けになった時のことを今でも覚えている。あの光景がなかったら、ソフトテニスをやろうと思わなかっただろう。入部してからは上級者に近づきたい一心だったが、十分満足できぬまま引退を迎えた。

 

大学で部の新歓を受けたとき、少人数ながら熱意をもってソフトテニスに取り組んでいるという野田先輩の言葉に強く惹かれた。一方で、失礼かつ恥ずかしながら、正規練が週2と少なく、初心者の先輩もいたことから、「ここならついていけるかも。」と内心では思って入部を決めた。私は自分の技術に自信がなかった。実際に入部したのは6月末ごろで、すぐに夏オフになってしまった。しかし夏オフからはテニスにのめり込むように熱中した。溶けそうなほど暑い日もせっせとコートに足を運び、オフ明けは楽しみで眠れなかった。一、二年次の部活動で特に思い起こされるのは、先輩の存在だ。先輩方には、大局をみてチームに必要なことを指摘してくださる心強さがあった。そして、部室や遠征の合間にはいつも笑いが絶えず、部の明るい雰囲気を作ってくれていた。

 

10部から始まった女子部は昇格し、私が2年秋になると8部リーグの舞台がめぐってきた。しかし結果は4位残留で、ペアとしてほぼ何もできないまま負けた試合もあった。同じころ男子部は優勝していたが、私はあまり心から喜びを分かち合えず、むしろ惨めだった。それくらいには、簡単にミスをする自分の実力不足と、松見先輩にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

その後、7部を目指して2位まで順位を上げたが、女子は8部にくすぶり続けた。これは、ダブルスが勝ち越せない責任が大きかったと思う。下半身の動作や練習への取り組み方など、個人でも部としても工夫を重ねていたが、リーグであと一勝のところを逃した。私は、2年秋に味わったどうしようもない悔しさが徐々に薄れていくようにさえ感じた。楽な方に逃げたくなったとき、同期女子が練習に打ち込む姿を見て、自分を奮い立たせることもあった。

 

4年秋リーグに向かっていく時期は、同期はもちろん、積極的な取り組みでチームを導いてくれた澤部、やる気と実力にあふれる1年生4名に特に感謝している。それぞれの活動が全部つながって結果が出せたと思っている。私は、皆の鋭い意見に気づかされてばかりだった。

 

リーグを振り返ると、ゲーム数で楽に勝てた試合は意外に少なく、そして「チーム力」を肌で感じた試合が多かった。一番心に残っているのは、最後の入れ替え戦だ。

 

入れ替え戦の会場に入ると、私は一種の感動にも似た緊張を全身で感じた。遠くの方から他大学の声援がよく聞こえる気がした。ふと奥のコートに目をやると、後衛がミスをして、その瞬間に降格が決定したのか、地面にうずくまってしまった。その一方で、喜び合う人たちの姿が見えた。

 

一橋の対戦相手は立正大で、一番手は惜しくも負けた。「ごめんなさい」―岸田は、しかし涙をぬぐって自ら応援リーダーを買って出ていた。「失うものは何もない」と言っていた瀧根は、文字通りの完全試合で天秤戦に望みをつないだ。いよいよ出番がまわってきた。この夏からプレッシャーに強くなるという部の方針で練習してきたのだが、試合中はまるで生きた心地がしなかった。しかし、後輩や一橋の声援に耳をすまし、ずっと積み重ねてきたことを心に念じ、どうにか巻き返した。ペアの横田も同じ気持ちだったと思うが、苦しい時も絶対に諦めていなかった。

 

テニスは個人競技だが、実際は一橋というチームの中にいて、失敗を繰り返しては反省し、選手としても人間としても育ててもらった。そして私は、最後までチームに支えられていた。感謝しても感謝しきれない。

 

 

 

最後に、日頃より部活動を支援してくださった皆様に改めて感謝申し上げます。今後は球朋会で積極的に関わっていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。