随想

 

商学部4年 齊藤駿

 

 

 

 随想を書くことになって、改めて大学生活はあっという間だったなと感じる。体育会での活動ではうれしいことも悔しいこともたくさんあったが、今となってはどれもいい思い出だ。しかし、そう思うようになったのも2か月前くらいからである。それまでは自分は部にいてはいけないのではないか、潔く部を離れた方が自分にとっても部にとっても良いことなのではないかとさえ思っていた。

 

 

 

 私は部に蔓延る慣習、またそれをありのままに受け入れる部員のことをあまりよく思っていなかった。慣習は具体的にいくつも挙げることができる。そういった不満が積み重なって、部に対していいイメージを抱けなかったのであろう。

 

 たとえば、練習形態についてである。我が部では正規練習と自主練習という2つのタイプの練習をしていた。そのどちらの練習についても不満を抱いていた。

 

 正規練習については、チーム内での実力差がかなりある状況のなかで一律同じ練習をするというところに無理があると思っていた。案の定、正規練習のレベルは上級者に照準を合わせたものであり、上手くない自分が対応していくことはできなかった。

 

 自主練習については、正規練習とは違って自分のやりたいメニューができるということで進んで取り組めるのではないかと思っていたが、そうはならなかった。ソフトテニス以外のことにも取り組むにはあまりにも時間がなさすぎた。自主練習をしてほかのことをして、となんでもやろうとすると手一杯になりどれも中途半端で終わってしまった。

 

 ここで大半の人はソフトテニスを第一優先事項として乗り越えるが、自分にはそうはできなかった。みんなはソフトテニスを取るのに、自分は取らなかった。周りとの明らかな違いを感じた。こんな自分は部にいるべきではないと思い始めていた。

 

 

 

 こんな気持ちを抱えながら幹部になった。幹部になったからにはこの納得のいかない体制を変えていきたいと思っていたが、周囲の激しい反対にあい、叶わなかった。この時期が一番つらかった。もうやめてしまおうと思っていた。この時期は何度も瀧根に説得され、そのおかげで自分はいまここにいる。瀧根には本当に感謝している。

 

 

 

やめずに向き合わなきゃいけないと思っていたが、どうやって向き合うかは思いついていなかった。そこで私は部の慣習に真っ向から対立した。自主練に来ない奴に堂々となったのである。しかしコートには行かなかったが、ソフトテニスから離れたわけではない。資料研究を圧倒的に行い、自分が理想とするものと現状がどれくらい離れているのかを正確に把握した。それを生かして正規練習時、コートでは理想に向かって最短距離で行けるような練習を心がけた。この時期は同じ代で幹部をやっていた惠村や瀬口には迷惑をかけっぱなしであっただろう。コートに行く回数が少ないのだから、後輩の練習をみることもできず、それらは任せっきりであった。そのあとの1年間の休部も含めると、かなり長い時間任せっきりであったと思う。本当に申し訳なかったと思う。

 

 

 

 迷惑をかけまくった後に復帰した私であるが、そんな私の資料研究やそれを生かした練習がようやく今頃になって実を結んできたと感じている。とくに前衛のポジション取りや駆け引きは正規練習では全くカバーできない部分であるので、そこを習得できたのは大きかった。そして4年の秋になってやっと後輩たちに説得力のあるアドバイスが送れるようになった。少しだけ部のためになることができているのではないかと思っている。今までそういったことを同期に任せっきりだった分、卒業までの短い間であるが少しでも部の実力向上に貢献していきたいと思っている。

 

 

 

 拙い文章ではあったが、これが私のソフトテニス部での大学生活だった。自分が部にいてよかったのかという疑問に対しては、今でもはっきりとした答えは出ていない。それは私がこの後どれだけ部に携わっていくかに関わっていると思う。これから部に対してなるべく多くの貢献をしていき、大学時代をソフトテニス部で過ごしてよかったと将来的に思えるように行動していきたいと思う。