本来ならば私は、三年半の部活動の中でテニスにおける技術の向上と部員としての事務活動を行わなければならなかった。だが私は会計士になる道を選んだため、部員としての勤めを果たせなかった。よって私の随想は資格試験の為に休部や復帰を通じて体験したことを綴りたいと思う。この随想は先輩方のものとはだいぶ違ったものになってしまう可能性があるが、大目に見ていただきたい。
まず私のことを知らない方々の為に、またこの後の内容の為に私の三年半の内容を簡単に説明させていただく。
私の入部時期は入学後一年生四月である。その後二年に上がる直前の三月に会計士試験のため休部した。三年生九月の全国公にて復帰したものの、次は三年生の三月からの半年間は新型コロナ感染症によって部活動ができない状況となった。そして四年生の九月に活動が再開し、十月の引退に至った。私は活動と休止を繰り返すかなり変則的な三年半となっている。実質的な活動時期は一年半程度であり、また二年生後半から三年生前半に休部している為に幹部も行なっていない。
以上がが私の部活動歴である。ここで私が他の部員とは違う点に資格試験の休部時期が挙げられる。この特殊な活動期間によって私が体験したことを次からは述べていきたい。
休部に至った一年生の三月頃というのは冬オフが開けた直後であり、つまりは冬オフ期間に起こった出来事が休部の決断に大きく影響している。決め手となったのは将来への不安である。一カ月後に習う勉強内容から数年後の就職先まで、将来の不透明さが非常にストレスになっていた。時期的にも一年間で一通りの大学生活を終えてひと段落したからこそ、不安に陥る時期でもあったのかもしれない。
会計士試験の勉強は一年生の十月あたりから始めており、部活後は図書館に行き勉強をすることなどは休部前からしていた。しかし冬オフ期間でより勉強出来たことで、試験がどれほど難しいものかを実感出来るようになった。つまり勉強するほど自分の実力不足を痛感するようになり不安を抱くようになった。また予備校の授業数も冬オフあたりで非常に数が多く、追い付くのがやっとであった。授業があとどれくらいあるのかも予想出来ず、会計士試験勉強の将来を見通せない不安を抱えていた。また自分の就職先も考えるなど将来について考えることもあり、不安要素が多くあった。
そこに部活動での練習や、それに必要なお金を稼ぐためのバイトの時間などを考慮すると、非常に厳しい生活を送ることが想定出来た。ただ部活動も続けて行いたいため、板挟みの状態になっていた。そして最終的には、部活を休部し勉強に集中することを選んだ。
休部して一度部活を離れたことで、一年生の時とは異なる生活を体験することになった。自分の生活の中心がなくなるという点で、この頃の生活は新型コロナで部活が休止した時の感覚に似ている。この時期は自分の中で部活の意義というのが揺らぐことがあった。
試験勉強の面では、結局のところ休部したからといって不安が減るわけではない。特に試験直前は休部前より辛かったかもしれない。不安は数の大小では決まらないものである。
最後に復帰してからのことを話す。復帰して以降、特に合格・内定後は理想的な心持ちようで部活に参加出来たと思う。資格勉強と就職先が落ち着いたため、自由に出来ることが増えたからだ。資格や内定も自分の裁量で決めることではあるため、まるでそれらが縛っていると表現するのは不適切と思う方もいるかもしれない。ただ私はどうしてもこの二点を払拭することが出来なかったためこのような表現となっている。お金や時間などにもゆとりが出来たことで心にもゆとりが出来た。それが部活動を行う上での安定した心持ちに繋がりました。結局のところ人生に不安は尽きないもので、悩むことはその後もあります。しかしゆとりの範囲内で自分に合ったように考え、行動出来たので楽観的に捉えています。
大学生活を経験し終えた現在から見返すと「幹部の3年まで部活をやり終えた後に休部して合格する道もあったかもしれない」「会計士試験に拘らずとも良かった」と思える部分もあります。ただそれらをやっておけば良かったと後悔することはないです。分かっていればやっています。不安の中で懸命に考えて選んだ決断ですので悔いはないです。
学生の頃は、特に20歳前後は人生について悩む時期だと言います。この時期にソフトテニスを部活動として懸命に励むのは非常に困難なものだと私は思っています。そんな中で今もソフトテニス部で活動を続け部を支えている後輩達、またこの部を築いてくださった先輩方、そして一番には同期達を心から尊敬しています。今後の一橋大学ソフトテニス部が発展することを切に願っております。四年間ありがとうございました。