「思い」 

 

経4 伊豆勇紀

 

 ソフトテニスという競技に4年間打ち込み、様々な部員とかかわりあうことで、多くの学びと、青春の思い出と、尊敬できる仲間を得ることができた。4年間様々な形で支えてくださったOBOGの先輩方、同期、後輩にはこの場を借りて感謝申し上げたい。今後は一人のOBとして、微力ではあるが現役を支援していくつもりだ。拙筆ではあるが、私の「随想」も何らかの形で後輩の参考になれば幸いである。

 

4年間の部活における最も大きな後悔が「同期をもっと頼っておけばよかった」ということだ。正直な告白をすると、大学2年生まで同期3人のことを「本当にやる気があるのか、こいつら!」という目で見ていた(そんなことはなかったのに、ごめん!)。私が2年生のとき、チームは就活中の4年生が3人、幹部の3年生が5人、私たち2年生が4人、1年生が1人の計13人で活動している状況だった。少人数であることに加えて、リーグ戦で勝ちを経験している部員も少なく、7部から8部への降格も囁かれているチームだった。このなか、幹部の先輩方は豊富な練習量と、同期による綿密な打ち合わせ、全体ミーティングの開催によって何とかチームの再建を図っていた。週末の練習にも朝早くからコートに集合していた。私も負けずに朝からコートに向かった。体育会の上下関係の尊重もあるが、1年生の秋リーグに1勝しかできずチームに迷惑をかけた経験があり、先輩方が練習しているのに私がコートに向かわない理由はなかった。一方で、同期は練習の効率を重視し、あまりコートに来なかった(たしかに当時の自主練の様子は、量はこなすがどこか集中力に欠けているところが部活全体にあった)。たとえ効率を重視しても、明らかな練習不足を同期に感じることがあり、部活に対する同期の姿勢に不満を感じていた。先輩方もミーティングで度々同期を注意した。しかし、私は同期でありながら、練習量の不足を指摘することはしなかった。同期が練習しないうちに、彼らの一つ上のレベルまでテニスを上達させてやろうと思ったからだ。特に、同じ後衛の小泉は圧倒的な技術があったから、彼を追い抜かしてやりたかった(結局それは叶わない(苦笑)。彼は練習の一球一球を誰よりも大事にしていた。コート外の研究も熱心で、練習しないように見えて、彼が一番の努力家であった)。同期なりにチームに対して考えることはあったのだと思うが、積極的にコートに向かわない彼らの姿勢を当時の私は「やる気がない」と心の中でみなしていた。

 

周囲や自分たちの予想をいい意味で裏切り、その年の秋リーグにチームは7部から6部に昇格した。当時のチームは自分の意見を発信できる開放的な環境があった。幹部の先輩方の前向きさと結束の強さも、チームの危機を乗り越える力となった。幹部学年は私たちの学年に引き継がれ、その中で私は主将を務めることになった。私は人の上に立つ経験がなかったから、同期を頼り、様々なことを相談することが必要だった。チーム状況を見ても、練習の質を向上させることも必要だったし、次の世代の育成も急務で、やるべきことがたくさんあった。しかし、2年生の時になんとなく同期につくった偏見を、主将になってからも私は取り払わなかった。この頃には、同期も積極的に練習に参加するようになっていたが、コートには絶対に自分が行かなければいけないと思っていた。2年生の秋リーグで全勝して、自分の練習姿勢が実を結び始めたから、何でも自分一人でできるのではないかと思っていた。傲慢で、幼い姿勢は当然、日々の練習態度や発言に表れ、主将という立場にありながら周囲の部員を不快にさせることがあったと思う。私のそのような態度を、同期もはっきりとした言葉で諫めることができなかった。次第に何でも自分の意見をぶつけることができる、のびのびとした開放感もチーム全体からなくなってしまった。部活で改善すべき部分があっても一人の力で変えることはできない。問題意識を同期で共有し、幹部全体でチームを変えていく必要があったのに、真逆のことを私はしていた。

 

主将として最後の秋リーグは6部で優勝しながらも、入れ替え戦で敗れ、5部昇格はならなかった。この入れ替え戦、主将としてチームを昇格させられなかっただけでなく、自分自身も敗戦していた。責任は重かった。しかし、無責任にも幹部引き継ぎ後、私は就職に向けた試験勉強のために半年間休部した。この間、かつて練習量が少なく「やる気がない」と自分がみなした同期は真摯に部活を続け、チームを支えた。自分勝手に休部して極端に練習量を減らす私の一方的な姿勢に、同期は眉をひそめたはずだ。将来のことを大学2年からじっくりと考え、主将として部活を続けながらも、並行して就活の勉強を続ければよかった。勉強の都合上、コートに顔を出すことができない時でも、頼ることができる同期がいたのである。休部しない方法はいくらでもあった。当時、周囲からすれば、私は「やる気がない」どころか、自分の責任から逃れているくだらない人間に見えたはずだ。自分の弱さ・将来に向き合うこと、同期に向き合うこと、部活に向き合うこと、すべてから逃げていた。4年になって迎えた春リーグ、半年間休部していながら当時の幹部である後輩は私を試合に出場させてくれた。結果は1勝4敗という無様なものだった。失敗に失敗を重ねてしまった。引退試合となった秋リーグ戦、先輩方、同期、後輩が一生懸命、私を応援してくれた。結果は4勝1敗だった。全勝で昇格につなげることがせめてもの罪滅ぼしになると思っていたが…、力不足であった。

 

私の根本的な未熟さは、自分の弱さを認めた上で、自分の力不足を埋めてもらうために、周囲に助けを求めなかったことだ。そのためには、早い段階から同期に自分の本音をぶつけ、本音を聞くことが必要だった。また、口に出さないだけで部員は色々な思いを抱きながら部活を続けている。「言葉にしない同期の思い」も理解することが必要だった(おそらくこの思いを同期は「随想」に書いていると思う)。

 

自分の力を過信し、できないことを自分一人でやろうとすると、逆に全体に迷惑をかけてしまう。その失敗は取り返そうと思っても、取り返すことができない。人は組織のなかで、人の役に立ってこそ価値がある。しかし、人の役に立つためには、人から協力を得なければならない。協力と信頼なくしては、人の役に立つことはできない。それを痛感した4年間だった。

 

最後になるが、このように未熟な私が4年間、体育会という環境でソフトテニスを続けることができたのは多くの方々の支えがあってのことだ。テニスだけでなく人間的にも私を指導してくれた心優しいOBOGの先輩方、同期4人のなかで一人年齢が若く、精神的にも幼い私を支えてくれた同期3人(今は困ったことがあれば素直に相談できる友人であると思っている)、理不尽な私の要求にも文句を言わず部活を続けてくれた後輩たち、部活に明るい雰囲気をもたらしてくれた女子部の方々に改めて感謝申し上げたい。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。(宮城県庁)