「リアルテニス」

平成5年卒 山口昇平

新年あけましておめでとうございます。93年卒の山口です。大変ご無沙汰しております。 在学中重なった先輩、後輩を除くと殆ど小生のことを殆どご存じないと思いますので、簡単な自己紹介と近況報告から始めさせて頂きます。

 

私は出身が八王子で中学高校と桐朋だった為、大学含めてずっと都下で育ちましたが、東京銀行入行後はずっと海外畑を歩んでいます。海外駐在が非常に長く、イギリスを中心に通算20年海外駐在中です。2016年末に連続13年の駐在を終え、一旦丸の内本社勤務に戻りましたが、1年強でイギリスに再招集を受け今日に至りますので、余程海外駐在に縁があるのだと思います。現在、MUFG欧州本部の経営インフラ全般を担当しています。

 

家族は妻と二人の子供がいます。私の海外駐在の影響で2004年からずっとイギリス暮らしです。長女は一昨年前就職しており、次女は今大学院生です。妻が硬式テニス部出身ということもあり、二人共早くからテニスをするようになり、完全にテニス一家です。長くイギリスでテニスをやっている為、プロ含めた様々な選手や関係者とご縁ができたり、ウィンブルドン等、有名テニスクラブにお邪魔するようになったり、貴重な体験をたくさんさせて頂いていますので、それらの一部をご紹介させて頂くと面白いのかもしれませんが、話が長くなりすぎますので、本日は現代テニスのルーツであるリアルテニスをご紹介させて頂きます。

 

私のリアルテニスとの出会いは3年前、娘から招待されたリアルテニスの大学対抗戦でした。案内された会場は、我々が慣れ親しんでいる硬式のテニスクラブではなく、Load’s Cricket Groundというロンドン中心地にあるクリケットの聖地でした。日本の方には馴染みがないと思いますが、クリケットはイギリスでは超がつく程人気スポーツなので、テニスにおけるウィンブルドンのような極めて格式高い会場です。その中の一角にリアルテニス会場があるのですが、初めて見るリアルテニスは非常にユニークでした。

 

コートは屋内で、ネットを挟んで相手プレーヤーがおり、ラケットでボールを打ち合う様はまさにテニス。しかしながら、壁を使ってもよく、相手コートもあるスカッシュというイメージです(写真参照)。

建物の中庭的な空間なので、きっと昔は本当の中庭(英語でcourt)でプレーしたことがきっかけでテニスコートと呼ぶようになったんだろうなと想像がつきます。周囲を壁で囲まれている為、プレーヤーはコートの中におり、コートが小さく感じられます。屋根があったり、観客席的なスペースがあったり、壁がフラットでなかったりします。ボールはあまり違和感ありませんが、ラケットはスカッシュのラケット大で、少し斜めに傾いています(写真参照)。ゆがんでいるのは低い球を打ちやすいからとのこと、木製なので重いです。また、サーブが特徴的で、写真手前のサービスサイド側から向かって左手奥の屋根側にのみサーブしますが、相手側の屋根の上に着弾させないといけないルールになっており、リターン側は自陣の屋根や壁のクッションを経てポロっと自陣に落ちたボールを相手にリターンします。時速200KMのサーブをリターンする硬式テニスとは全く異なっています。相手にボールを返せないと失点、決められた穴にいれたりウィナーをとると得点、ということはわかるのですが、詳細ルールは複雑で、私にはよくわかりませんでした。礼儀作法は確りしたものがあり、ウェアは上下とも白で統一されています。

 

リアルテニスは中世フランスで生まれ徐々にイギリスに伝わっていったそうですが、フランスではジュ・ド・ポーム(Game of Hand(大昔は素手で打ち合っていたから))、アメリカではコートテニス、オーストラリアではロイヤルテニス、と呼ばれ今でも盛んにプレーされているそうで、過去オリンピック種目になっていたこともあるそうです。

 

硬式テニスは19世紀にローンテニスとして、リアルテニスから枝分かれし、発展していった経緯があるので、現代テニスのルーツをリアルテニスの中に多分に感じることができます。

先ず、“テニスの語源。昔フランスではサービスする側がTenetztake this! play! 現代語訳すると「行くわよ!いいわね!」)と発声していたことからTennisと呼ぶようになったそうです。

次に硬式テニスの4大大会はイギリス、フランス、アメリカ、オーストラリアで開催されますが、この4国で盛んにプレーされるようになったのもリアルテニスが先。

そしてウィンブルドンは白いウェアを着用することを義務付けていることで知られていますが、それもローンテニスが白いウェアしか着用が認められていないリアルテニスから派生したから。貴族の遊びだったため、白いウェア以外は着用しなかったようです。

また、日本でも東京ローンテニスクラブのように芝のコートなんて一面もないにもかかわらず〇〇ローンテニスクラブと名乗るテニスクラブがあるのをご存じと思いますが、これも硬式テニスがリアルテニスから派生した際、ローンテニスという名前が正式名称だったことに起因します。ローンテニスのことをテニスと呼ぶ方が世界的には多いと思いますが、リアルテニスのプレーヤーはリアルテニスのことをテニスと呼び、硬式テニスのことをローンテニスと呼びます。まるで軟式テニスプレーヤーが硬式テニスのことを硬式テニスと呼び続けている状況に似ていて微笑ましいです。

 

 

なお、日本との接点はイギリスからではなくアメリカからもたらされたようです。1886年頃、筑波大学の前身東京高等師範学校の米国人教師がローンテニス部を創設したのが起源だそうですが、当時輸入ボールがとても高価だったため、三田土ゴム社が代用ボールとしてゴムボールを製造するようになり、日本で軟式テニスが普及し始めたそうです。三田土ゴムといえば、その後昭和ゴムに買収されましたが、赤エムボールのMの頭文字の起源となった三田土ゴムです。その後日本チームはデビスカップにも出場するようになり、軟式から転向した選手ばかりが参加し、当時としては珍しいドライブを駆使した戦術で1920-30年代の日本黄金時代を築いたということです。現代テニスでは用具の進化により、より力強く振り切ることが可能となり、一昔前の軟式テニス的な技術で硬式テニスをプレーする選手が増えてきましたので、近い将来再び硬式テニスの場で活躍するソフトテニスプレーヤーを見ることになるかもしれないと密かに楽しみにしています。