転居のご報告

S48年卒  竺原一博

昨年末に、広島県に移転いたしました(下記をご覧ください)。

老後の経済的対策の一環で、空き家にしていた青梅市の生家と、自分の住まいだった杉並区の不動産をほぼ同時期に売却処分して、妻の両親が使っていた土地を利用したものです。

夫婦ともども兄弟がなく、また子供もいないので、万一、金目のものでもあるのなら、全てを二人で使い尽くし、残った一人が、最後の1円だけ持って旅立とうという根性の夫婦なのですが、都内の不動産に多少の価値があっても、現状存在するreverse mortgageでは、せいぜい数十%くらいしか融資枠はなく、不動産価値を全額享受するには、売却するしかありません。売却金額から広島でのリフォ-ム金額を控除すると可処分所得が算出できます。

せちがらい話はさておき、折角の移転であれば、従来の心の中の弱きモノ―――信仰・迷信・脅迫概念・無意味なroutine・血縁のしがらみ・依存・逃避---等々を棄てきって、雄々しく再生をはかろうと決意し、まずは青梅の空き家に残してあった写真・通知表・アルバム等々を捨てまくりました。

ごくごく並の、きっとトンビのような両親にとって、自分の子供(私)は、浪人の末とはいえ一橋大学に合格できた!―――ような猛禽を産んだような思いだったらしく、私の子供の頃の通信簿とか図工作品とかが宝物のように保管されていました(親の手元にあった通知表のような好成績は中学までの事でしたが―――)。これらをまとめて、破り捨てる爽快さはなかなかのものでしたが、高校時代の軟庭のdrawだけは、そっと持ち帰りました。

その中で、日に焼けながらも残っていた1966(S41)8月の国体東京予選(高校男子)drawには、藤本理が後衛で第3シ-ドに君臨していました。その1枚をコピ-して、昨年初冬の藤本の墓前にて、いつものメンバ-に配布しました。同期の潮田・尾木原・慶田・小宮そしてなによりも藤本の一人息子の剛史君には、少なからず喜んでもらえました。我々の共通の誇りである藤本は、都立西高2年生でそのdrawのト-ナメントを勝ち抜き、best 3にて東京代表になったのでした。それに加えさせてもらうと、何千チ-ムもいる東京の大会で、私は藤本と2回も対戦させられ、学年が1年上だった私なりのテニスの大きな夢を、藤本にいとも簡単に砕かれ続けたことが、今では、私の自慢です。

土地勘のない広島で、誰一人知る人もいないのだから、自由に生まれ変われるかと思いきや、早くも虚飾・虚栄―――等々を身にまといつつあるのがお恥ずかしい限りです。恥ずかしついでのもう一つは、東西南北の方向感覚が定まりません。新幹線の福山駅のホ-ムで東京方面が逆に見える・道路を覚えるために付近の地図を描いてみると南が上の方が描きやすい―――方向音痴ではない自分のはずが、北上・南下という帰巣本能的感覚が消去されて再生しません。100shopで磁石を買い、瀬戸内海方面を向いては右手の方が九州なりと言い聞かせています。

街は、水路に隣接する狭い道と急な坂道が実に多く、東京から600㎞自走で運んできたクルマは出歩くにはあまり最適ではなく、日常の移動のために、動力3換×ギア8速=24変のスポ-ツ型(しかし電動アシスト付き)自転車を買いました。かなりの急発進・猛速であり、温厚な人にはお勧めできません。

―――といような訳でございまして、関東の方々とは距離的に離れましたが、従前同様のご指導・おつきあいの程、宜しくお願い致します。

新住所等は次の通りです。

Emailも右に変更:nantei5006qtakeoff@gmail.com

 

(※編集担当注記:誰でもアクセスできるHPであることから住所、電話番号は掲載を見合わせていただきました)