以下は2005年3月に書いたものです

わが友人諸氏に告ぐ

 

 お知らせが遅れましたが、小生は2月7日より脳梗塞のため4週間入院し、1週間の自宅リハビリを経て3月14日より通勤を始めました。頭痛が残り、平衡感覚に問題があるので土気の駅までは妻に送ってもらい、品川駅では会社の人間に面倒をかけています。諸氏には「病気したよ」と電話して千葉くんだりまで来てもらうのもなぁと思っているうちに退院になり、飲めないのでは快気祝いもできんなと考えているうちに今になってしまいました。

 

 そもそも発病はどうも25()に始まっていたように思います。この日は小生が属するテニスクラブの部内対抗試合の日でした。第一試合、決めていればポイントという場面をミスり続けて負けてしまいました。第二試合は力の差がはっきりした負け試合ですが、なんとか自分のサービスゲームくらいとろうと力が入りました。この時に、首から肩にかけての痛みを感じ出したのですが、それが第二試合、第三試合と続けるうちに頭痛を伴うようなったのです。前に肩を痛めたことがあり、肩から首、頭痛と連鎖していったので、またむきになってサービスを打ったせいで肩をやっちまったかなくらいに思っていました。少々痛いが、すぐに整形外科やマッサージに行くほどでもないなと思いながら、バッファリンをもらって飲んでいました。負け試合が続けば頭も痛くなろうってもんだくらいのものです。通常こういったイベントの後は飲みにいくコースが用意されていて、この日も御多分にもれずだったのですが、さすがに未練を残しながら帰宅したのでした。

 

 さて、26日、朝から頭痛は続いていましたがバッファリンを飲んで、10時からのテニスにでかけました。「風邪をひいたくらいの頭痛は、走って酸素をたっぷり送り込めば治ってしまう」を信条みたいにして行動していましたので、そう無茶をやっている気はしませんでした。この日は練習会の日で、いつもよりきつい球出しなどが行われますが、頭痛をこらえながらこなして試合の時間に入りました。ゲームカウント2-1で軽いめまいを感じて考えました。「続けるか? しかし、ダブルスだしパートナーに迷惑かけるしなぁ」と体をとめたわけですが、気持ちはまだ半分続行でした。他のクラブ員が集まってきてしまったので、弱冠めまいがしたので休むというと、そりゃ危ないというものが現れ、救急車で病院に行ってみてもらった方がいいという意見も出ました。そんな大げさなと思いつつも、心配してくれて念のためだという善意の声に多勢に無勢みたいな感じでベンチに座りました。毛布をかけてくれたり、救急車を呼び出したり、女房を呼び出したり、クラブ員の皆がテニスもせずに右往左往しているのを申し訳なく思い、あのまま続けておいたら良かった。きっとばつの悪い思いをしそうだなどと考えていました。救急車は8件も開いている病院を探して30分ほどもしてから走りだしました。担ぎ込まれたのは千葉市若葉区の三輪台病院、CTスキャンを取ったが何も出なかった。めまいがして頭痛というが、CTスキャンにでず、本人が肩から首、頭痛と連鎖した症状くらいに思っていたのでは、緊急診療の医師が「整形の専門医もいませんし月曜にまたおいでください」と言うのもやむをえなかったのかもしれません。

 

 そこで家に帰ることにしましたが、車に乗ってしばらくしたら吐き気を感じ始めました。病院から家まで車で40分くらいあり、けっこう我慢するのもきついのですが、結局のところ我慢しきって帰り着きました。この頃は未だ自分で歩いてトイレにもいけたわけで、「その内、治るさ」と思っていました。時間が経つにつれ、吐き気とめまいが増して本当に吐き始めてしまいました。それでも、一応CTスキャンをクリアしたことだし、医者にも診てもらったことだしという安心感もあり、朝を待つことにしました。なん度か吐いて、寝たのか気を失ったのか分からないうちに漸く朝が来て、病院に行こうかと思ったのですが、もう立てません。ぐらついてしまうため這うこともできず、日本でBSE牛がまた見つかった映像を思い出しました。再び救急車を呼びましたが、昨日の病院は満員ということで千葉中央メディカル病院に担ぎ込まれました。昨日は、担架、ストレッチャー、ベッドの間を自分で動けていたのがまったくだめで、まさしく担ぎ込まれたという状態になってしまいました。

 

 この時点で、頭痛の始まった土曜の昼ごろから48時間たっているわけですが、またCTスキャンからやりなおしです。しかも、MRIは空いていないので明日だという医師の声を虚ろに聞きながら、「MRIがいっぱいだから翌日回しってどういうことだ!こっちは死にそうなんだぞ」とか怒っていました。結局、CTでは何も出ず、この吐き気と頭痛と眩暈は食中毒かBSEか・・・・・・・・・・・この金、土、日と何食べたか・・・・・・・・・・・誰と飯を食ったか・・・・・・・・・・・・・・他に腹を壊しておかしくなっていないか調べようか・・・・・・・・・・・等々どうどう巡りの問答を眠れるまで繰り返す事になりました。翌日、昼過ぎにMRIの結果が出て延髄の脳梗塞との診断が出されました。これで漸く脳梗塞に対応した治療が始まったのですが、発病から72時間が経過してしまっていました。小さな梗塞ですから後遺症はあまり残らず回復できるでしょうと言われ、手や足は動かせる、口は動いて伝達出来ているようだと何度も自分で認識しなおしました。一番きついのは、眩暈があるのと、眼振で視野がぶれていることでした。会社やアポのキャンセルのため電話をするにも手帳の文字が見づらいし、天井のスプリンクラーが動いている。丸2日以上の間、尿瓶のお世話になる状況でした。結局のところ、418日現在で10週間が過ぎ、まだ眩暈が消えません。とにかく仕事に行けているし、リハビリの医師やこの病気を経験された方々には、その程度で済んでラッキーですよといわれました。

 

しかしながら、こんなことになってしまったのはどうしてなのか? もっと早く病気に対応した治療を受けるチャンスがあったのではないか? つらつら考えてみれば私個人の認識不足と医療社会制度の問題点が浮かび上がってきます。似たような年齢のわが友人諸氏にも参考になると思いますので列挙します。

1.        私は、ここしばらく健康診断がまったく問題なしであり、CTスキャンでなにもでなかったのだから大丈夫だ。肩・首といった整形的問題だと自己診断していたことが大きく影響しているように思います。

2.        ところが、脳梗塞の小さなものや発症から24時間以内の場合はCTスキャンでは画像に出ない事が多く、MRIでしか発見できない。脳出血はよく画像に出るのでCTで梗塞か出血かを区別しMRI で診断を確定する。これは入院後に本で調べたところではあたりまえのようです。普段からしっかりした知識・情報を仕入れておくことが重要です。

3.        吐き気、頭痛、眩暈の三拍子がそろったら、脳梗塞の可能性がかなり高い。仮に、CTスキャンになにもひっかからなかったとしてもMRIによる検査が必要だということ。

4.        脳出血か脳梗塞かによって治療方法が違う。前者は出血を止めなくてはいけないし、後者は血をかたまりにくくする必要がある。したがってどちらであるか判定がつかなければ治療が始まらない。

5.        一方で、MRIは高価な機械で予約が埋まっている。前述のように私の場合、翌日回しでした。(緊急とみなされないとMRIをすぐに割り込むのは難しいようです。)その後慶応病院で再診してもらったのですが、予約を入れても一月以上先になる状態でした。

6.        医者にうまく自分の症状や痛みを伝えるかが重要。私のように自分の健康を過信し、勝手に肩の痛みからきたものだなどと思っていると、希望も含めて医者をその方向に誘導してしまう気がする。また症状の強さ・ひどさをどこまでアピールするかもポイントになる。ただギャーギャー騒ぐ患者は相手にされないが、我慢していても後回しにされる可能性がある。

7.        週末に開いている病院は、かなり少なく不十分なようです。救急車がなかなか発車できなかったそのためです。おまけにでてきている医者もすくなかったり、専門医がいなかったりで大変です。週末の病気は避けましょう(できるものなら)。

 

とにかく、歳も考えて気をつけて楽しく遊びましょう。

 

                           金井章男   

                           1975年卒

 

 

脳梗塞第2

 

 第一弾では病気の経緯をお知らせしましたが、いろいろ調べてみると、もっといい治療が受けられ、もっと完全な回復ができる可能性について社会が無関心でおきざりにしていることが見えてきました。医療という全体の仕組みを変えていくことと、とりあえず個人として気をつければ救いになりそうなことをあげてみました。

 

1.        発病後3時間以内の適切な治療が受けられれば、死や身体機能麻痺から救える可能性が大幅に高まる。

2.        3時間以内に専門医に診てもらい治療を受けるには、専門医がばらばらに病院に配置されている状況から、専門医が複数で24時間体制をひいている病院を作る必用がある。

3.        私の経験でもMRIなどの診断装置は不足していてすぐに検査を受ける事が出来なかった。これは、おそらくその技師も含めての資源再配分が必要なのである。(診断装置もなければ話にならない。)

4.        現在のように急性期の治療と回復期の治療を同じ場所で行っていると患者の滞留を起こし、急性期の患者を受け入れるベッドがないという事態を招きやすい。一定の時間経過後はほとんど自己治癒(リハビリも含めて)しかなく急性期の治療とは性格が違うものである。

5.        私が経験したように救急車は、受け入れ病院を電話することにより自分でさがしている。救急病院の状況が常時分かるようなデータベースを作る必用がある。また、救急体制は行政区域で縦割りされていて、区域が違えば近くても空きがあってもその病院は使えない。区域割を超える仕掛けを構想する必用がある。(余談になるが、これは警察も同じ。自転車が盗まれた時にお願いにいったら、世田谷の登録では千葉ですぐに調べられないと言われた。警察のデータベースが行政区域割りになっていたら緊急対応できない。自転車の盗難程度の平和な話の内はいいけれど!)

6.        発症後三時間以内であればt-PAという新薬が血栓を溶かすことができ、極めて有効である事が欧米の治験で明らかになっている。日本でも2005年には認可されることが確実視されているそうである。2016年現在、t-PAは保険認定されたようです。したがって3時間以内という早期であれば血栓を溶かすことができるようです

7.        つまり、24時間かなり多数の脳卒中患者をうけいれて、かつ高度先進医療を提供できる専門病院を作っていくことが重要で、そうしないと寝たきりや半身不随者をますますふやしてしまい、社会そのものがその負担に耐えられず麻痺していくことにもなりかねない。

 

社会の体制が整うのを待っているだけではしかたがないので、個人的にできることはというと

1.        かかりつけ医を持ち脳卒中予防のための健康管理を行ってもらう。

2.        脳卒中専門医が24時間体制で高度の専門的治療を行っている病院を知っておく。いざ発病した時には、かかりつけ医に相談、あるいは脳卒中専門病院を受診する。(近くで専門医のいる病院を見つけるには 日本脳卒中学会認定 研修教育病院一覧 http://www.jsts.gr.jp/jss12.htmlが参考になります。

3.        なお、t-PA治療については保険外治療ですから、病院やかかりつけ医師との前もっての打ち合わせがないとスムーズにいかない可能性があります。

4.        悪くならないうちに専門医に診断してもらう事が重要です。軽いうちはわかりにくいのですが自己診断としては、頭痛、吐き気、めまいがそろったらかなり可能性が高いでしょう。それに、つばが呑み込みにくいと感じたら麻痺が起こっている証拠です。

 

皆様、転ばぬ先の杖、明日はわが身。社会への働きかけと自己防衛が肝心です。かくいう私がまだまだ準備不十分なのですが。

 

 

参考文献

日本の論点2005 「論点57 橋本洋一郎」 文芸春秋

きょうの健康 「夏の脳梗塞」   日本放送出版協会

日本脳卒中協会のサイト http://jsa-web.org/

戻る