一橋大学大学院社会学研究科 教授 尾崎 正峰
諸先輩方には、一橋大学ソフトテニス部の活動に対して、日頃より有形無形さまざまなご支援をいただいておりますこと厚く御礼申し上げます。
2020年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の問題に明け暮れました。4月の緊急事態宣言の発出に象徴されるように、OB、OGの皆様も生活のあらゆる場面で、これまでとは異なる対応を迫られたものと拝察いたします。
一橋大学においても、すべての講義が「オンライン」となりましたが、直接、顔をつきあわせてやりとりするという“当たり前”のことがかなわないという衝撃的な出来事でした。キャンパスへの立ち入りすら制限されることが長く続きましたが、9月からの「秋学期」を迎える時点で、ようやくゼミナールなどの少人数の授業については「対面」方式を選ぶことができるようになりました。また、2021年度は「可能な限り多くの科目を対面授業とします」との方針が執行部から出されましたが、それでも多くの条件や制約があり、従来通りの形に戻るにはまだまだ先のこととなります。
課外活動についても同様で、一切の活動停止という、かつてない状況が長く続きました。私自身、学生時代の課外活動で得られた経験は現在にもつながる一生の財産ととらえていますので、学生たちの損失は計り知れないものがあると痛感しています。現役学生による感染防止対策の立案を経て、ようやく再開にこぎ着け、対外的な活動も果たせたことは何よりのことですが、まださまざまなハードルが残されているとも感じています。
こうした状況の中で、個人的に折に触れ思い起こしたことのひとつめは、ヨーロッパでの感染拡大のさなかの2020年3月11日、大打撃を受けた文化施設や芸術家への支援表明のなかでドイツのモニカ・グリュッタース文化大臣が発した「文化は良き時代においてのみ享受される贅沢品などではない」とのフレーズです。このフレーズは広く注目を浴びましたが、スポーツにも当てはまる至言といえるでしょう。今まで“当たり前”のものとして私たちの生活の中にあった文化・スポーツ。その危機とも言える事態に直面して、身近で大切なものの喪失感に似た思いを持ち、文化・スポーツの存在が思っていた以上に大きいと感じたのではないでしょうか。それゆえ、文化・スポーツの今後のあり方は私たちの生き方を問うことにもなるととらえています。
もうひとつは、社会学者・鶴見和子氏が、ご自身が脳出血で倒れられたこと、その後のリハビリテーションに対して「回生」の語をあてられていたこと(歌集『回生』藤原書店、2001)です。“当たり前”としてきた以前のままに戻るのではなく、困難や不自由さを受け止めた上で別の新たな道を探るという視点は、個人の枠を超えて社会全体に対しても示唆的であるとあらためて考えさせられるものです。
年が改まってすぐに緊急事態宣言が再度発出されるなど、しばらくの間、困難な状況が続くと予測されますが、諸先輩の皆様方には、よりいっそうのご支援をよろしくお願いいたします。