横山豪君

  

たけぞー。また会う日まで

 

 

 

 直居敦(昭和63年卒)

 

 

 学生のあのころは、本当に朝から晩まで男女ともどもじゃれ合うように仲の良かった我々同期だが、それぞれに仕事を得、家庭を持つとともに、少しずつ会う機会が減っていたのは否めない。それでも、ちょいちょい連絡は取り合い、何かあれば集まるといった付き合いを続けていたつもりだった。

 

 「そういえば、しばらく間が空いてしまったな」と思わぬこともないようなある日、同期、横山豪君の奥方から連絡をもらったのである。結婚のころ、みんなで集まって、決して愛想がいいとは言えない横山にいかにも似合わない美人妻を射止めたことを散々茶化したのも随分前になってしまった。

 

 「お久しぶり―!」と答える間もなく、話を聞くにつれ、しばらく会わない間に、横山が深刻な病と闘い続けていること、どこかで一番仲の良かった我々と会う機会を探れないか、といった話の輪郭が見えてきた。嘘みたいだった。50歳を超えて、周りでちらほら不幸の類はなくはなかったが、こんな身近なところで、ある時期濃密な時間をともに過ごした仲間の中からそうした闘いをせざるを得ない人間が出てくるとは……。 

 

 急に皆で会いに行けば、いかにも病状が芳しくないことを悟られてしまう。さりげなく体調の良い時に飲み会でも設定したものか、それくらいの体調の回復があるのかどうか。ぐずぐずしていると、本当にもう会えないということになってしまうのではないか……。いたずらに思い悩む日々が続いた後、奥方の示唆を受けて、昨年の夏のある日に、集まれる限りの同期が埼玉の病院を訪ねることになった。急な呼びかけにも関わらず、事情を抱えてたまたま地方に飛んでいるものをのぞけばよく集まったものだ。 

 

 久しぶりで会う横山は、確かにベッドの上で闘病姿ではあったものの、自分の病状を話す際の話っぷりはしっかりしているし、空気がこなれて、昔のバカ話(やれ誰が風呂に入らないだの、誰の下宿がカビだらけだの、合宿に向かう途中で車が故障してみんなで横山の実家に緊急避難で一泊お世話になって散々ご馳走になっただの、、、)に花を咲かせるようになっていった。

 

僕らが知らないうちに、あちこちの山々に出かけて行っては奥方と思い出を重ねていたのか!このヤロ! 

そう、こんな風に僕らはいつも下らないことを延々と飽きることなく話していたのだっけ……。  

 だから、その訪問から本当にわずか後に、逝去の連絡を受け取った時は、改めて信じられない、信じたくない気持ちだった。

 

おいおい、ちょっと待て。俺らはまだ50歳をほんのちょっと越えたところだ。横山、お前は、いったんは県庁勤めをしながら持ち前の粘り強さで司法試験に挑戦してすぐに見事合格。最近では自分の法律事務所を構えて、奥さんとともにまさしく一国一城の主として志を貫いていくところだったはずだろう……。 

 

 横山は、僕ら同期の間では、豪(=たけし)を「たけぞー」読み替えて、何だかいつも愛されキャラだった。決して自分から前面にどんどん出ていく方ではなかったけれど、(とてつもなく)頑固で、軟式テニスに並々ならぬ(そして何だかよく分からない)理論を持っているし、誰も読み解けない複雑なスコアブックを嬉々として付けている(あのスコアブックはどんな形でだか活かされたのだっけ?)。そのくせ時折見せる笑顔はそれはそれは優しく、周囲をホッとさせるものだった。 

 

 何だか、最後にどやどやと押しかけていったことが良かったのかどうか、いまだに確信が持てない。後で奥方に聞いたらばらばらに押しかけていった我々に「あいつら、本当に昔から段取りが悪いなー」と苦笑していたということだ。

 

すまんな、負担掛けてしまったな、たけぞー。まあ、許せ。いつかまた会う日に文句はたっぷり聞くから。その時はまたバカ話とソフトテニスに興じようじゃないか。